還暦を過ぎて、鍛えることより大切だと気づいたこと
わたしは、もともと運動音痴なところがあります。
球技はからきしダメ。
守備はある程度できても、攻撃力は皆無。
野球バレーサッカー…チャンスボールを前に空振りばかりです(笑)。
走るのは好きでしたが、マラソン大会に出たことはありません。
一方で、鉄棒は好きでした。
人生で一番腹筋が割れていたのは、小学6年生のころだったでしょうか(笑)。
そして、チャンバラ少年だったこともあり、剣道を始めました。小学5年の春。
その後怪我と病気で中断した剣道でしたが
指導者と環境に恵まれた大学時代には三段を取得しました。奇跡のような喜びでした!
10歳から40歳過ぎまで、医療漬け・薬漬けだった
そんなわたしですが、身体が丈夫だったわけではありません。
10歳から40歳過ぎまで、さまざまな疾患に悩まされ、医療漬け、薬漬け。
入院と退院を繰り返し、会社でも休職と復職を繰り返す生活でした。
ところが、40歳を過ぎて整体師として身体のことを学び、
自分自身の身体と向き合うようになってから、状況が大きく変わっていきました。
身体は、みるみる健康を取り戻していったのです。
40代、身体の小さな変化に気づく
40歳を過ぎたころから、平らなところで躓くことが増えてきました。
以前はよく履いていた革靴も、足の関節や足の甲に当たって痛い。
今振り返れば、外反母趾や内反小趾の初期だったのでしょう。
そんなご縁から、足趾や足のアーチの大切さに気づくようになりました。
さらに、古武術の身体術やYOGAを体験するなかで、身体の使い方そのものが少しずつ変わっていきました。
「力を入れること」だけが身体能力ではない。
身体全体がつながり、無理なく動く。
そんな自然体の可能性に目覚めたのも、このころだったと思います。
ただし、剣道の稽古に行くたびに左アキレス腱炎に悩まされました。
身体は良くなっている。
でも、どこかに無理が残っている。
そんな感覚もありました。
50代、筋トレに目覚める
時は流れて50代。
スクワットチャレンジでは、ついに200回を達成。
その次にはプランクチャレンジ。
連続5分を達成しました。
「動きたかったら筋トレなんかするもんじゃない」
古武術の先生から、そんなことを言われていたのですが……。
聞きませんでした(笑)。
「鍛えれば、もっと身体は強くなる」
そう思っていたのです。
そして還暦。少し欲が出てきた
60歳を迎えるころには、自転車通勤や軽い水泳などで身体を維持していました。
そこへ、ちょっと欲が出てきました。
もっと鍛えたい。
まだまだ身体を強くできるんじゃないか。
そう思って始めたのが、毎日のスクワット。
そして、毎日の懸垂チャレンジ。
ところが……。
これが余計だったのかもしれません。
右膝を痛め、正座も蹲踞もできなくなりました。
さらに懸垂で右肩まで痛めてしまい、長引くことに。
木刀を軽く振ることさえ、ままならなくなりました。
「鍛えているのに、身体が弱っていく。」
これは、なかなか皮肉な話です。
20余年、のべ8万人を超える施術をしてきて
そこで、我とわが身をあらためて振り返ってみました。
わたしには、身体を痛めた歴史があります。
13歳のとき。
グラウンド近くに転がってきた野球ボールを拾い、いいところを見せようとしたのかもしれません。
アップもせず不用意な遠投で右肩を痛めました。
そして16歳。
椎間板ヘルニアの手術を受けました。
手術そのものは成功しました。
しかし、それ以前には左足腰に激痛があり、その痛みを庇いながら生活していた時期があります。
古傷そのものは、とっくに癒えていたのでしょう。
でも、身体には別のものが残っていた。
それが、**「痛みを庇うクセ」**だったのではないか。
そんなことに気づきました。
その他にも小さな捻挫や骨折、爪の剥離も繰り返していたのでした。
古傷は治っていても、「庇うクセ」は残る
痛いところを庇う。
これは身体にとって、ごく自然な反応です。
右肩が痛ければ、反対側を使う。
左足腰が痛ければ、右側に逃がす。
それを何年、何十年と続けていれば、痛みがなくなった後も、その動作パターンだけが残ってしまうことがあります。
わたしの場合、
左足腰を庇うクセと、右肩を庇うクセ。
それが微妙に残り続けていたのではないか。
そして左右のアンバランスが、体幹のよじれや、体幹と腕・脚との連携に少しずつ影を落としていたのではないか。
そう考えると、これまでの身体の変化が少しずつつながって見えてきました。
もちろん、これはわたし自身の身体についての振り返りです。
すべての人に当てはまるわけではありません。
「もっと鍛える」から「もっと自然に動く」へ
そこに気づいてから、身体との付き合い方を少し変えました。
身体の調整を心掛ける。
セルフケアを丁寧にする。
日常の立ち方、歩き方、座り方、しゃがみ方などを見直す。
そして、無理に回数を増やしたり、限界まで追い込んだりすることを少しやめる。
すると、少しずつ身体が変わってきました。
膝も肩も、少しずつ回復。
正座ができる。
蹲踞ができる。
木刀を振ることができる。
まだ完全に元通りというわけではありません。
それでも、できなかったことが少しずつできるようになってきた。
これは嬉しいものです。
強い反復、長い持続が「良い運動」とは限らない
特に、わたしのように過去に関節や身体を痛めた経緯がある人にとっては、
「もっと回数を増やそう」
「もっと長く続けよう」
「もっと負荷を上げよう」
という発想が、必ずしも身体にとってプラスとは限らないのかもしれません。
強い反復や長い持続が、再び故障を引き起こすきっかけになることもある。
大切なのは、単純な筋力だけではなく、
身体全体がうまく連携しているか。
そして、
無理なく動けているか。
なのではないでしょうか。
これからは「鍛える」より「磨く」
これからしばらくは、木刀稽古を中心にしていこうと思っています。
そして水泳。
YOGA。
ウォーキング。
日常生活そのものを運動として丁寧に使っていく。
若いころのように、「もっと強く」「もっと速く」「もっと回数を」と競うのではなく、
身体の流れを大切にする。
軽快に。
ゆっくり、ゆったり。
力みなく。
そして、健やかに、快適に。
還暦を過ぎて、わたしは「鍛えること」そのものを否定するようになったわけではありません。
筋力は大切です。
体力も大切です。
ただ、それだけではない。
筋力をつけることと、身体を上手に使えることは、同じではない。
長いあいだ身体と付き合ってきたからこそ、少しずつ分かってきたことがあります。
これからは、身体を無理に作り変えるのではなく、
自分の身体が本来持っている「自然な動き」を、もう一度丁寧に磨いていきたい。
それが、今のわたしにとっての「自然体」なのだと思っています。
強くすることよりも動きの質を高めることでトラブルや疾患を未然に防ぐ
生き生きと健やかにしなやかに毎日を楽しんで生きる。
そのプロセスと成果をみなさんとも共有していくことを楽しむ。
そんなことを思い描いています。

