目次
- 映画『ヒポクラテスの盲点』を観て
- 現場と研究の狭間で生きる医師・研究者の姿
- 「反ワク」という言葉が遮った対話
- 今こそ、立ち止まって考えるとき
- まとめ:医療従事者・健康に関わるすべての方へ
- (本記事の位置づけ)
映画『ヒポクラテスの盲点』を観て――2020年からの5年を、医療と健康の視点で振り返る
2025年10月15日 / 場所:新宿ピカデリーで鑑賞 / ティールカイロプラクティック武蔵小山整体院
2020年以降の5年間を背景に、診療現場・研究の狭間で揺れる医療者の姿と、健康を願う人々の葛藤を描くドキュメンタリー。対話が分断されたあの空気を思い出しつつ、「医療とは何か」「信頼とは何か」を静かに問い直す時間になりました。
「私は病める人々の利益のために、わが能力と判断の限りを尽くし、決して害をなすまい。」
I will apply, for the benefit of the sick, all measures which are required, avoiding those twin traps of overtreatment and therapeutic nihilism.
— Hippocratic Oath (modern version)
現場と研究の狭間で生きる医師・研究者の姿
本作は、診療所や研究機関の最前線で、原則と現実のあいだでもがく人々を丹念に追います。時代の空気に押され、声を上げづらかった当時の心理。信じて選択した結果、思いもよらない体調変化に直面した人々の切実な声。いずれも「数字」ではなく一人称の物語として提示され、観客に受け止め方を委ねてきます。
そこに通底しているのは、統計やデータ、臨床と実感、リスクとベネフィット、そして「人を救う」という初心の交差点です。私自身、施術に携わる者として、現場の肌感覚とエビデンスの往復運動の必要性を改めて感じました。
「反ワク」という言葉が遮った対話
印象的だったのは、「先生、反ワクなんですね。」という一言で対話が途切れる場面。善意や不安がレッテルとなり、検討や議論の余地を狭めてしまった痛みが、映像を通して立ち上がります。問いを立てること自体が難しかった時期に、どうやって“聴く姿勢”を保つか——医療だけでなく社会全体の課題として突きつけられます。
問いを立てることは、誰かを否定することと同義ではない。
対話を閉ざさず、検証の扉を開け続けること。——それが健全な医療と市民社会の土台だと感じます。
今こそ、立ち止まって考えるとき
『ヒポクラテスの盲点』は、統計や論争の勝ち負けよりも、私たちが何を信じ、何を見落とし、何を学び直すかを静かに促す作品でした。臨床の事実、データの読み解き、人間の尊厳——それらを同じ円卓に並べ直すことが、これからの信頼回復の第一歩になるはずです。
- データと臨床の往復(机上と現場の健全な循環)
- レッテルではなくプロセスで語る(検証の共有)
- 「不確実性」を扱う力(暫定とアップデートの明示)
まとめ:医療従事者・健康に関わるすべての方へ
本作は、医療者だけでなく、自分や家族の健康を大切に思うすべての人にこそ観てほしいと感じました。対話の再起動、検証の共有、そして「人を大切にする」原点の再確認。2020年からの5年を経た今、私たちはもう一度、落ち着いて話し合えるはずです。
上映情報は各劇場サイトをご確認ください(東京では新宿ピカデリー)。上映スケジュール【公式】|新宿ピカデリー
(本記事の位置づけ)
本記事は、筆者の鑑賞体験に基づく感想・意見であり、特定の医療行為の推奨や中止を直接的に示すものではありません。健康や医療に関する判断は、最新の公的情報と担当医の指示に基づき、ご自身の状況に合わせてご検討ください。
村井雅紀(ムライマサノリ)
ティールカイロプラクティック武蔵小山整体院 院長。整体院としては延べ8万人を施術。独自の「ニュートラルゾーンセラピー」を開発し、身体構造と心理・動作の関係から「自然体で生きる」を提案。

